『名所江戸百景・大はしあたけの夕立』(広重)
2005年7月11日 読書
奇妙な惑星とそこにいるあの奇妙な人々。時間に屈するくせに、それを認めない。反対意見表明の手段を持つ。彼らは絵に描く、例えばこの絵のような。
一見したところでは、格別のことはない。川が見える。岸の一方が見えている。逆流に難儀する小舟が見え 川に架かる橋が見え、橋には人が見える。見るからに足を早める人たち 今しも暗い雨雲から 大降りの雨が降り出したから。
肝腎なのは、その後何も起こらぬこと。雨雲は色合いも形も変えない。雨は強まりも、小止みもしない。小舟は動かずに漂う。橋の上の人たちは走っている。一瞬前と同じ場所を。
ここでコメント抜きには過ごせない。これは決して無邪気な絵ではない。ここでは時間が引き留められた。その法則が放棄された。出来事は進展する影響力を奪われ 時間は無視され侮辱されたと。
ヒロシゲ・ウタガワとか名乗る反逆者の力量によって(その人も遠い昔に去るべくしてこの世を去ったが)時間は躓き倒れたのだ。
あるいはこれも単に無意味な戯れか。たかだが二、三の銀河系に亙る規模の悪戯なのかも そのどれにせよ念のため 蛇足を足せば、次のようになる 以前からここでは絵に惚れ込んで 高く評価し、このちっぽけな絵に 後代まで感嘆し、感動すべきだとされてきた。
それだけでは満足しない人たちもいる。彼らは耳に雨脚の音さえ聞き取り 方や背に滲み入る滴の冷たさを覚え 橋と人々を眺めて そこに自らの姿を見るように思い 行き着く先のないこの駆け足の 終わりのない道を、いついつまでもと そして思い上がりの中で思い込む これがそのままの現実であると。
(ヴィスワヴァ・シンボリスカ『橋の上の人たち』より抜粋)
一見したところでは、格別のことはない。川が見える。岸の一方が見えている。逆流に難儀する小舟が見え 川に架かる橋が見え、橋には人が見える。見るからに足を早める人たち 今しも暗い雨雲から 大降りの雨が降り出したから。
肝腎なのは、その後何も起こらぬこと。雨雲は色合いも形も変えない。雨は強まりも、小止みもしない。小舟は動かずに漂う。橋の上の人たちは走っている。一瞬前と同じ場所を。
ここでコメント抜きには過ごせない。これは決して無邪気な絵ではない。ここでは時間が引き留められた。その法則が放棄された。出来事は進展する影響力を奪われ 時間は無視され侮辱されたと。
ヒロシゲ・ウタガワとか名乗る反逆者の力量によって(その人も遠い昔に去るべくしてこの世を去ったが)時間は躓き倒れたのだ。
あるいはこれも単に無意味な戯れか。たかだが二、三の銀河系に亙る規模の悪戯なのかも そのどれにせよ念のため 蛇足を足せば、次のようになる 以前からここでは絵に惚れ込んで 高く評価し、このちっぽけな絵に 後代まで感嘆し、感動すべきだとされてきた。
それだけでは満足しない人たちもいる。彼らは耳に雨脚の音さえ聞き取り 方や背に滲み入る滴の冷たさを覚え 橋と人々を眺めて そこに自らの姿を見るように思い 行き着く先のないこの駆け足の 終わりのない道を、いついつまでもと そして思い上がりの中で思い込む これがそのままの現実であると。
(ヴィスワヴァ・シンボリスカ『橋の上の人たち』より抜粋)
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