世界は自分の鏡

2005年3月1日 戯言
人によっては常識的なことかもしれませんが、勉強で忙しくなって来ると忘れがちになると思ったので確認の為にここに記しておくことにする。

「世界は自分の鏡」。論語の表現では前にも書きましたが「賢を見ては斉しからんと思い不賢を見ては内に自ら省みるなり」。ユング系心理学の表現を使うと「自分の影が教師として次々と送られてくる」etc...表現の仕方は色々ありますが言ってることの根っこの意味はみんな一緒。

つまり、自分にとって「嫌な他人」は「自分の嫌な部分」が鏡として映っているに過ぎないということ。例えば、また空手の組手で例を挙げてみると(*映画「マトリックスRELOADED」のディテイルな部分ですがセラフがネオに「闘わなくては分からない」と言う場面がありますが、闘うということは人格の本音同士の交渉なので日常生活の人間関係に於いても分かり易いケースとして反映可能であると思うので)もし自分が「バカヤロー!」という想いを込めて相手を攻撃すると、相手も「なんだ、バカヤロー!」という想いで反撃して来る。反対に「切磋琢磨してくれてありがとう」という想いを込めて攻撃すると相手もまた「こちらこそありがとう」という想いで反撃して来る。まあ実際には「ありがとう」にしても「バカヤロー!」にしてもこれほど純粋化された想いがいつも飛び交っている訳ではないですが、つまりそれでも僕が言いたいことは、この世界に対して自分が発した想いというものは遅かれ早かれ作用と反作用の法則よろしく必ず自分に帰ってくるということ。

だから、もし日常生活で「嫌な奴」というのがいればそれは自分の「嫌な部分」が帰ってきているだけなので「なんだあいつはムカつくな」となるのではなく「なるほど!そういうことね♪」という想いに如何に早く切り替わり自分の糧とできるかが大切だということ。
また一つの出来事に於いていつも自分がはじめに他者に働きかけるとは限らないので、空手だともし他者から「バカヤロー!」って攻撃されたら「なんだバカヤロー!」と返すのではなく「君はそんな方法でしか世界に働きかけることができないのか?そろそろ気づけよ?君の不満や怒りや憎しみや苦しみや悲しみの原因は全部自分がつくりだしているんだぜ?正拳突き!オラッ!」という様な想いをもった反撃になるように心掛ける。そうすると相手もだんだん無意識に気づいてくれて「ん?なんか不思議と満たされてきたなぁ、なんで俺って怒っているんだろう?」という感じに変わってくれる。

空手にしても日常生活にしても、僕はこういった他者と共につくりあげる精神活動と身体活動の繰り返しが自分の考え方や経験値を高めてくれるだけでなく、そうすることによって自分の身の回りの環境のあらゆるものが、精神的にも身体的にも経済的にもより豊かで満たされ幸せで美しいものへと変容していくものであると確信している。(もちろん自分も気づかされることも同様にあるという謙虚さも大事) こういったことを一つの洗練された体系としてモデル化し回転させていくことは僕の沢山あるやりたいことの中のひとつである。

大きなパーティーなんかに行って著名な企業家の方(特に日本経済の中心的な役割を果たしていて世界経済にも大きな影響を与えている大企業の社長など)の講演を聞くと、本当に例えば上に書いた様な法則なんかはもう当然って感じで、凄い方ほどみんな良い意味で宗教家みたいなオーラを放っているんですよね。こういう方を見るとまさに「賢を見ては斉しからんと思い」ってなって「僕もあーゆう風になっていきたいなぁ」ってなるんです。

御託はもうほどほどに致しましょう。今の僕はまだまだ無力です。今僕がやらなければいけないことは何ですか?勉強ですね。色々と忙しい中、「忙しい」とは「心を亡くす」と書きますが、こういったことは忙中の閑に於いてでも振り返るゆとりは持っていきたい訳です。

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光

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